E-roomへようこそ。このブログでは、学校現場における小論文指導の現実について、学校の先生を対象にゆるーく語っていきます。バックナンバーと合わせてお楽しみください。
小論文を書くためには「自分の物語」を作ることが大事。これはよく言われることですが、それはどうして大事なんですかね。そして生徒にはそれをどう教えればいいのでしょう。先生たちのこんな疑問について、いつもどおりゆるーく考えていきます。
教える内容より「教え方」が大事
小論文は自分のことを書けばいい。自分の考えを文章化すること。それが小論文。
こういう教えをよく聞きますよね。これはまったくもって正しい。私たちもこんな内容のことを日々教えているはずです。
でも、最大の問題は、それをどう教えるか、なんですよね。
これが難しい。だって一生懸命教えてもなかなか伝わらないんですから。
先生方はわかっているんです。
小論文の書き方なんて。
なんなら、参考書にも書いてあるし。
だから、教えろって言われたら教えますよ。それ自体はそんなに難しいことじゃないから。
でもね、教えてもなかなか伝わらないんです。
だから、問題は「教える内容」というよりは「教え方」なんです。
「何を教えるか」というよりも、それを「どう教えるか」です。
「小論文は自分のことを書くもの」という内容を教えることが難しんじゃなくて、そのことをどういうふうに教えたら生徒の胸に届くのか。
これって本当に難しいことだと思うんです。
それなのに、このことについてしっかりと踏み込んだ見解を示している参考書を私は知りません。
「書き方」については詳しく書いているけれども、そうしたメソッドをうまく扱える生徒はそう多くはいないんだということに自覚的な参考書ってほとんどないですよね。
小論文ってこういうものだよ。だからこう書けばいいんだよ。私の言う通りにすれば書けるよ。ほら簡単でしょ。
でもね、生徒にとっては簡単じゃないんです。
生徒の腹の底にストンと落ちてないんです。その「教え」は頭の表面のところふわふわと漂っているだけだから、実際に書いた文章にはその「教え」がまったく反映されないんです。せっかくのすばらしい「教え」が血肉になっていない。
いったいどうすれば生徒にも理解できるような「教え方」ができるのか。
そういうことをこの数年ずっと考えてきました。
で、自分なりに考えついた着地点がありまして。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、それをこれからだらだらと説明していこうと思います。
「自分ストーリー」はなぜ必要なのか
その答えのひとつは「自分ストーリー」をつくるということです。
あらら、なんか逆戻りしちゃった感じですね。
でも、やっぱりわたしはこう言いたい。
本に書いてあることを、生徒はちゃんと理解できていないじゃないか!
だから、「自分ストーリー」をつくりなさいというだけではだめなんです。
なぜそれを作る必要があるのかを、ちゃんと理解させなきゃいけない。
ここが肝心だということがやっとわかりました。
「自分ストーリーをつくる意味」を理解することができれば、やがて「自分の文章」を書けるようになるでしょう。
だって、それによって小論文練習の方向性が定まりますから。
それまでは走る方向すらわからなかったのが、こっちに行けばいいんだということがわかるようになる。これはとても重要なことです。まだまだうまくは走れないけれども、方向は間違えなくなる。その先にゴールが見えてくる。
だから、まず「自分ストーリーを作る意味」を理解することが重要なんです。
でも、これをちゃんと理解させることって本当に難しいんですよ。
生徒は勝手にわかった気になっているみたいで、人の話をちゃんと聞いてくれないし。
はいはい、自分の物語をつくればいいんでしょ。知ってます。知ってます。わかりましたから、そんなことより早く書き方を教えてくださいよ。
今まではここにあまり力を入れてこなかった。「自分ストーリー」の説明だけして、次のフェーズに入ってしまっていた。生徒が「自分ストーリーを作る意味」をちゃんと理解できているかはあまり気にかけていなかった。これじゃダメだったんです。
なぜダメなのか。
「ちゃんと理解」していないと「自力飛行」ができるようにならないからです。
「自力飛行」は、誰かに手を引かれて歩くのではなく、自分の力で飛ぶということです。
不格好な飛び方でも、方向を間違えずに、なんとか自分の力で目的地にたどり着くということです。
小論文試験で求められるスキルって、けっきょくこういうことじゃないですか。試験当日になるまでどんなテーマが出題されるかわからないですからね。そして与えられたお題がどんなものであろうとも、何とかそれに対応しなくちゃならない。試験当日は先生のアドバイスはないんです。自分の力で切り抜けるしかない。何を書くべきか、いかに自分を表現するか、このことを自分で判断する力がどうしても必要です。
そのためには、「自分ストーリーを作る意味」をちゃんと理解できていないと無理なんです。
根本的なことが理解できていないければ、その先の上達はありえません。野球がうまくなりたいと思う気持ちが根っこのところにあるから意味のあるバッティング練習ができるんです。野球がうまくなりたいという気持ちがないのに形だけ練習しても絶対にうまくはならない。それと一緒です。
だから、まずは根本にある理解が重要なんだけど、われわれはここを見逃していたと思うんです。というか軽く見ていた。そんなことはちょっと説明すればわかるだろうと高をくくっていた。
まずは自分の物語をつくろうよ。なぜそんなものを作らなきゃいけないかって? まあそれはそのうちわかるからね。まずは先生の言うとおりにやってみよう。そうすれば書けるようになるから。
わかっているのは先生だけで、生徒はよくわからないまま手を引っ張られている感じになっているんです。参考書の類も同じですよね。いいからこっちに来ればいいんだよって先生は道を案内してくれる。もちろんそれは正しい道なんだけど、生徒は目隠しをされているから不安でしょうがない。今自分がなんのためにどこをどうやって歩いているのかよくわからない。先生を信じて歩いているからそのうち何となく歩き方がわかったような気もしてくるけど実際のところは自信がない。で、試験当日にいきなり目隠しを外されて、さあ自分の力で歩いてごらんって言われるんです。
なぜそれをしなければならないかという根本的な理解が、まずは絶対に必要です。じゃないと自分で歩く力はつかない。
にもかかわらず、それを理解することは先生が思っている以上に生徒には難しいことです。ここは多くの生徒が躓いている最初の最難関といってもいい。
だから、ちゃんと教えなきゃいけない。生徒が理解するまでつきあわなきゃいけない。じゃないといつまでたっても自分で歩けるようにならない。
なのに、これをわれわれは見逃していた。
先生って人たちは、頭がよくて全体の流れがよくわかっていますからね。生徒の最初の躓きをかるく見てしまうんでしょう。これは先生たちにとっての大きな落とし穴だと思います。まずは野球を好きにさせないといけないのに。じゃないとバッティングは上達しないのに。
わたしは、世にある小論文の参考書や講義などはとても有用だと思っています。生徒にもいろんな参考書を紹介したりしています。
でも、「自分ストーリーを作る意味」を理解していなければ、こうした本に書かれていることを実践できるようにはならないと思っています。生徒に本の内容を理解する態勢が整っていないのに、理論が先へ先へと進んでいってしまう。本にはいいことがたくさん書いてあるのに、生徒はそれをうまく扱うことができない。そんなことがしょっちゅう起こってしまう。もともと高い能力を持っている優秀な一部の生徒しかその恩恵にあずかれない。根っこのところにもっと手をかけてあげれば、頭のいい子だけでなく「普通の子」にも役立つものになるはずなのにね。ほんとうにもったいないことです。


コメント
コメント一覧 (3件)
[…] それで、「適性」っていうのが大事になってくる。ほかの誰とも違う自分っていうのを作り上げていくことが大事になりますからね。そのためには自分には向いていないようなことを無理してがんばるよりも、自分に合った分野に力を注いだ方がいいに決まっている。そうすれば、より効率的に「個性的な自分づくり」が可能になりますからね。好きなことなら比較的苦にならないはず。じゃあ、自分には何が向いているの? 自分は何に興味があるの? 自分の適性って何? という話になってくるんだけど、その答えを出すのって意外と難しいんですよね。自分のことなのに自分は何がしたいかっていう問いにうまく答えられない。なんかぼんやりと宙に舞っているようなイメージみたいなものはあるんだけど、うまく整理できていないままこれまでほったらかしにしてきたもので。でも、とりあえずなにか答えを出さないといけない。そうしないと何も始まらない。だから、間違った答えを出しちゃうかもしれないけど、それであとで修正が必要になっちゃうかもしれないけど、とにかく何らかの答えを出さないといけないんです。わたしが何度も言っている「自分ストーリー」っていうのは、そういうことも含んでいるわけです。自分の物語を作り上げていくわけですからね。その過程において当然「適性」っていうことも必要な要素として入ってきます。(「自分ストーリー」についてはー実践編ーで説明しています)自分の適性やら興味の方向性やらがある程度見えてきたら、そのストーリーに沿ったかたちで自分の進路を考えればいい。進路についてはそういう順序で考えさせるのがいいと思うんです。でも、ここまで話してきたことを高校生に理解させてそれを実践させるのってめちゃくちゃ大変ですよね。生徒も大変だけど、先生もね。なので、できるだけ早めにそのスタートをきるのがいいと思います。走り出してしまえば、あとは自分で考えることが多くなりますからね。それで、人によっては「あれ? なんか違うかな?」なんて感じで途中で気づいたりします。そうしてまた振出しに戻って自分ストーリーを組みなおしてみる。自分の本当の気持ちと対話しながら、自分の物語を再編成していくんですね。そう考えると一度間違った方に突っ走る経験をした方がいいかもしれませんね。その方が内省的になって、しっかりと自分に向き合えるかもしれません。こんな感じで自分の適性みたいなものをちゃんと意識する機会を持つことが大事なのかなと思っています。 […]
[…] 「自分ストーリー」というのは、文字通り「自分の物語」です。小論文というのは基本的に自己表現です。そこに「自分」が表現されていることがいちばん重要です。じゃあ「自分」とは何か。それは自分の考えであり、自分の思いであり、自分の将来のビジョンであったりします。こうしたことが表現されているような小論文は優れた小論文と言っていいでしょう。小論文のお題は何が出るかわかりません。自分の受ける学科とは直接関係の内容なことが問われることだってあります。それでも、しっかりと設問要求を満たしながら自己を表現する。そうした力が必要なわけです。こう書くとそんな難しいことできない!って思われるかもしれませんが、そんなことはありません。自分の考え方を支えている「土台」さえしっかりと作ることができればどんな生徒にも十分可能なことだと思っています。その「土台」の大本にあるのが「自分ストーリー」です。「自分ストーリー」の作成とは、これまでの自分の歩みを振り返りながら、自分という人間を再構成し、再認識する。そういう作業です。この作業は、絶対に必要な作業です。けれども、高校生が自力でできることではありません。だから、どうしても先生のサポートが必要です。関連記事→初級編③・初級編④・初級編⑤・初級編⑥・初級編⑦・初級編⑧ つぶやき編⑤・つぶやき編⑥ […]
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