適性を文章で表現するのは難しい
先の生徒の文章例で言うと、自覚している適性というのは、「バレー部の活動」や「自分の長所」で書いた部分に表れているんでしょうね。(生徒の文章例はこちら)
この生徒が自分で自覚している自分の特性は、以下のような感じになるでしょうか。
・諦めないで頑張ることができる
・努力を惜しまない
・リーダーシップをとることができる
・笑顔で人と接することができる
こういう人物ならばどんな職業に就いてもうまくやっていけそうですよね。
だから、これはこれでいいんですけど、これをうまく文章にできるかどうかが問題なんですね。
だって、文章にしちゃえばみんないい子になっちゃうんですもの。自分は明るくて努力家で充実した学校生活を送ってきましたっていう文章に。誰だってだいたいはそうなります。
担任が書く調査書だってそうですよね。実際はいろんな問題を抱えていたとしても、変なことなんか書けない。だから、一人ひとりについて一生懸命考えてかなりの時間を割いて書くんです。いくら変なことは書けないと言っても、実際とかけ離れたことを書いてはまずい。大学側に不信感を持たれるかもしれないし、そんなことより自分の良心が許さない。だから、変なことは書かずに嘘にはならないような言葉を慎重に選んでうまいこと書くわけですよ。で、全員分書き終わってほっと一息つくんですけど、それを見直すとなんだかみんな同じような内容に見えてくるんですよね。
大学や専門学校にしても、そういう調査書や小論文をたくさん見てきてますからね。調査書を見るのも大変です。みんないい子だから。調査書には悪いいことは書かないもんだっていう暗黙の了解みたいなのがあるんでしょうね。だから調査書を見ても書いてあることを真に受けたりはしないでしょうし、逆に担任がよかれと思って正直にその子の問題点を書いたりしたら、受け取る側はびっくりしてしまいます。悪いことを書かないはずの調査書にここまで書いてくるっていうのはそうとうひどいのかなって。入試改革で調査書の書き方を変更したのもそういう面があるのかもしれせんね。文科省の人もなんとかしようとしたのかも。もっとちゃんと使える調査書にしようって。でも、申し訳ないけど、先生の手間が増えただけでのような気がしてますけど。
まあいずれにしても、調査書や小論文に書いていることの信ぴょう性みたいなものを探りながら読んでいることは間違いなさそうです。
高校時代にいっぱい努力して、諦めずにがんばって、みんなと上手にコミュニケーションをとってきたということが「本当に事実なのだ」ということが、ちゃんと伝わるように書くって難しいんですよね。
そういう生活をしてきていない子でも、文章にしたら「充実した高校生活」になっちゃうんです。もちろんつたない文章なんですけど。
でも問題は、ちゃんとした生活を送ってきたのに、文章力がないので、「そうじゃない子」の文章とほとんど見分けがつかなくなってしまうということなんですよね。
それが本当のことなのだということをちゃんと相手に伝えることができない。その他大勢の一人になっちゃうんです。せっかくいい経験をしているのに。
これは、「材料」があるのにうまく組み立てられないで損をするという典型的なパターンです。
「自分で自覚している自分の適性」を「材料」にして文章を書くのは別にいいんですけど、あまりにもよくある内容なので、その他大勢の中にまぎれてしまい、その子の素晴らしい経験やその子の適性などをちゃんと伝えられないでおわってしまう。
こういう場合にはどのようなアドバイスをするのがいいか。
一つには、具体例の使い方でしょうね。「言いたいこと」をはっきり書いたうえで、それに合う具体例を添えてあげる。
「諦めないで前向きに努力することができる」ってことを言いたいなら、まずそのことをはっきりとわかるように書く。その次に「バレー部で苦労した経験」をコンパクトに書く。これでワンセット。
大したことのないアドバイスのように聞こえるかもしれませんが、まずこれができない子が多いんですね。
「言いたいこと」と「具体例」の関係がちぐはぐだったり、具体例を書いただけでそれを通して何を言いたいのか不明だったり、逆に「言いたいこと」だけ書いて例証がなかったり。
「言いたいこと」と「具体例」の関係を意識して書くこと。これくらいのアドバイスでも、ちゃんと聞いてくれれば、人並みの文章には近づけるとは思います。とくにちゃんとした経験をしてきた子ならば、「具体例」の材料には事欠かないと思うので。
二つ目は、自分では自覚してこなかった「自分の適性」のことを文章構成に加えるということです。
これについては次の投稿で書きたいと思います。
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コメント
コメント一覧 (2件)
[…] 前回の投稿では最初にわたし自身の話をしました。40歳を過ぎてやっと自分に隠れた適性があったことに気づいたという話です。自分にはどんな適性があるのか。この答えを出すのは大人でも難しいことです。ましてや人生経験の少ない高校生にはなかなか判断が難しいですよね。それで、自分でもわかりやすいもの使いたくなるんだけど、そういう内容は多くの生徒と「かぶる」ことが予想されるので、自分のオリジナリティやその信ぴょう性を表現するのが難しくなる。こういう状況をどう打開していくか。その方向性を二つ考えました。一つは、「自覚している適性」をそのまま使うという方向性です。これには多くの生徒と内容的にかぶりやすいというリスクがあります。せっかくよい経験をしていても似たようなことを多くの生徒が経験しているので、そこで書かれた適性はありきたりなものとなってしまい、その他大勢の中に埋没してしまうというリスクです。これに対しては「書き方」の指導を徹底することで対処していく。「自覚している適性」をそのまま使うのにはメリットもあって、それは本人が最も書きやすい内容であるということです。自分で実際に経験していて、その経験から強く感じていることですから、書きやすいはずです。文章力に不安があるのならばなおさら「書きやすいことを書く」というのがいちばん安全ですよね。ちゃんとした書き方を指導してそれができれば、その他大勢との差別化は可能になるでしょう。こういう話を前回の投稿でしました。(前回の投稿はこちら) […]
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