使える「材料」の選別
それともうひとつ先生の重要な役割があります。それは「材料」を選別することです。
「自分ストーリー」を作り上げていくために、とにかくたくさんの「材料」を集めていきます。生徒の書いてきた小論文の内容からいろんな話をしていく。小論文だけだと話題が限られてしまうと思うので、話を広げるためにいろんな質問をしたりする。
「材料」の中には一見しただけでその子の核になっていそうな重要なものもあれば、雑魚キャラのような重要度の低そうなものまでいろいろとあるはずです。そうした様々な「材料」をできるだけたくさん集めたいですね。
なぜそうするかというと、それらを全部テーブルに広げてみてはじめてわかるようなことが多いからです。
いかにも重要そうな「材料」って、重要なことは間違いないんですよ。その子の根っこの一部になっているはずで、これは生徒本人も自覚していると思うんです。
でも、そういう「材料」って話が広がりにくいというか、ありきたりというか、それだけだとその子のオリジナリティーに迫っていかないことが多いんですよね。「自分は一生けん命努力してきました」とか「どんな壁にぶつかっても諦めない気持ちを持っています」とか言われてもね。それ自体は大事なことなんだけど、そんな人はゴマンといますからね。「材料」に乏しいとここで終わっちゃうんです。その先に進むためにも「材料」のバリエーションは豊富な方がいい。
たくさんの「材料」たちをトータルでながめていくんです。どんなストーリーがいいかなって考えながら。そうするとさっきまで雑魚キャラだと思っていたものがいきなり輝きだしたりするんですよね。えっ、これ使えるじゃん! みたいな感じ。そういうことって材料がたくさんあってはじめて可能になるんですね。だから、もう何も出てこないぞっていうくらいに自分の中にある「材料」を絞り出してもらう。そのときは重要とか取るに足りないとかそんなことは考えずにとにかくいろいろとあげていく。生徒とのそういう作業ってけっこう楽しいですよ。かなり盛り上がります。
先生は「その子の物語」のゴールを模索しながら生徒の話を聞いたりいろいろと質問したりして材料をできるだけ多く集め、「自分ストーリー」の枠組みをつくり、それを生徒に提案していく。
生徒自身も、先生とのこうしたやり取りを通して「自分」というものを意識していくことになります。「確かに自分ってこういうことばかり考えてきたよな」とか「こういうとこにこだわってきたんだな」とか。それまでは特別に意識してこなかったことなんだけど、それが一気にひとつの形になっていく。雑魚キャラも含めたたくさんの「材料」を目の前に広げてみると、無関係に思われていた出来事どうしが何らかの糸で紐づけられていたのがわかってきて、自分という人間を構成してきた材料とか、基本原理みたいなものとかがぼんやりと見えてくる。そういう発見が起こるのが理想的な展開です。
こうした展開に持って行くためにも、「材料の選抜」は重要です。どの「材料」に目をつけるかが決め手と言ってもいい。そういうことが見えるのは先生です。生徒には難しい。
自分の中の、自分でもわかりやすい一面だけをつかまえて「自分はこういう人間だ」というだけならたやすいことです。そんなことなら生徒は今だってすぐにできる。「私は努力型の人間です」って。
でも、今やらなきゃいけないのはそんな次元のことじゃなくて、小論文を書くために必要な土台となる「自分ストーリー」を作ることです。「自分は努力型です」という認識で止まっていては小論文は書けません。できあがった「自分ストーリー」は小論文を書くための土台となるものでなければならない。ここで作られた「自分の基本的な考え方」が、様々な社会問題を論じるときのベースになり得るようなそんなものでなければならない。この土台からいろんな枝絵はを広げられるようなそういうものであるべきなんです。先生はそういう目線を常に持ってこの作業に取り組む必要があります。
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[…] 「自分ストーリー」の「材料」はどこにある? 生徒と一緒に「材料」を… […]