小論文エッセイの最終回です。土台づくりについて多少具体的に説明しました。自分らしい小論文を書くにはどうしても必要な作業だと考えています。
まずは志望理由書から
小論文を書くには「土台」が必要。
それじゃあ、どうやって「土台」を作るのか。
今回はその辺の話をしていきたいと思います。
看護師志望者の例で説明してみます。
○○大学看護学部志望のSさん。
この生徒の「土台」を作ってみましょう。
まず、Sさんには次の作業をしてもらいます。
①志望理由書を書く
②自分の歴史を振り返る
「志望理由書」はふつうに看護師を志望する理由を書けばいいですね。
なぜ看護師になりたいと思ったのか、どういう看護師になりたいのか、理想の看護師像はなにか、そのために必要な資質は何か。
こんな感じのことを書いてもらえばOKです。
あとは、自由にいろんなことを書いてもらってください。自分の長所とか自慢できることとか。
どうして志望理由書を書いてもらうかっていうと、志望理由を話している時がいちばんその生徒の頭の中がみえるからです。
ただし、頭の中が見えると言っても、なにかまとまりになっているものを見ようというわけではありません。
本人は看護師を志望した理由をまとまりのある形にしようとしてがんばって書いてきますが。
まあ、あまり使いものにはならないでしょう。おそらく、面白みのない、ありきたりな、嘘っぽいことが並べられているだけですから。
でも、それでもいいんです。
志望理由を書こうとさえしてくれれば。
そうすれば自然と何か面白そうなことも書いてくれるんですよね。言葉の端に何かヒントらしきものが見えてくるわけです。
それを見逃さないようにして拾っていく。
で、「これどういうこと?」なんて質問していくと面白い話が聞けたりするわけです。
志望理由書を書けなんて言われると、生徒さんは勝手に身構えちゃって、こんなことを書くべきなんだろうなって誰かに教えてもらった「志望理由書の書き方」みたいなのを中途半端に参考にして、それっぽい文章を書いてくるんですよね。
だから、それはそれは面白くもない、出来合いの文章を書いて持ってくるわけですよ。これは君じゃなくても書けるでしょって感じのものを。
だから、文章としては全然なっちゃいないんだけど、自分の将来について書くという経験は初めてなもんだから、自分とちゃんと向き合うという経験も初めてなんですよね。
そうすると、ところどころにその生徒の本音というか、戸惑いというか、迷いというか、何とも形容しがたい心の揺れみたいなものがポッと顔をのぞかせるんです。
こっちはそこを見逃さないようにすくっていくわけです。そういうところに、その生徒のオリジナルが眠っていることが多いので。
だから、最初に書かせる志望理由書っていうのは、文章としてのまとまりや完成度などはあまり考えなくてもよくて、とにかく思ったことを自由に書かせた方がいい。その方がその生徒を知るための手がかりがたくさん得られるので。
そういうことで、最初に志望理由書を書かせるのがいいと思っています。
次の点をこころがけて書くといいですね。
(1)思っていることを自由に書く
(2)本当の気持ちを正直に書く
こういう条件さえ伝えておけば、出来合いの文章を書いてきたとしても、本心が覗けそうな「使えそうな材料」は手に入りやすくなると思います。
で、その「材料」が、「土台」づくりにおいてとても重要なものになりますこう
土台が必要なもう一つの訳
そろそろ土台づくりの話に入りたいのですが、その前に土台がなぜ必要なのかについてもう少しお話ししておきます。
土台の必要性については以前の投稿でお話した通りです。
土台という定点を設けることで、その立ち位置から多岐にわたるテーマに柔軟に対応していく。そういう意味で土台の必要性を説明しました。
これに加えて、土台が必要なもう一つの理由をお話します。
一言で言えば、土台があれば「自信がつく」ということなんですが、少しわかりにくいのでもう少し看護志望者の例で説明します。
看護師志望の生徒に「どんな看護師になりたいですか」と質問してみると、だいたい3パターンくらいの答えが返ってきます。
①患者の気持ちに寄り添える看護師
②患者の不安を和らげることのできる看護師
③誰に対しても分け隔てなく向き合える看護師
あとは、ナイチンゲールみたいなとか、マザーテレサみたいにとか。
いずれにしても、患者を医療の対象としてとらえるのではなく、一人の個人として、生身の人間として、家族や友人やかけがえのない人生を背負った全人的存在としてとらえる、みたいなニュアンスのことを言う生徒が多いように思います。
もちろん、それ自体はとくに問題はない。
で、そのためには「他人を思いやる気持ち」が大事だとか、「多様な価値観を受け入れる姿勢がだいじだ」とか、そんなことを書いてくる。
これもそんなに悪くはない。
むしろ、大事なことです。
看護志望者に聞くと、ここくらいまではだいたいは同じような感じです。
ありきたりとも言えますが、でもまあ、よしとします。
問題はここからなんです。
じゃあ、「他人を思いやる気持ち」があなたにはあるのかって聞くと、うーんって考えこんではかばかしい答えが返ってこない。
自分で「他人を思いやる気持ちが大事」みたいなことを言ったくせに、自分にそういう資質があるとは言わない。自信を持って「私は他人を思いやることができます!」ってアピールしようとしないんですね。
これはどうしてなんでしょう。ホントに不思議でなりません。
たぶん、理屈だけで考えているからなんでしょうね。
「理想の看護師」はこうあるべきだみたいなことを入れ知恵でもされたんでしょうか。みんながよく言うそうしたステレオタイプ的な理解にまずは飛びついちゃう。
でも、それって自分の頭で考えたことじゃないから、自分の中で全然しっくりきていない。
しっくりはきていないんだけど、みんなもよく言ってるし、理屈で考えても正しいとは思うから言っちゃうわけですよ。
「他人を思いやる心が大事」 って。
まずはやる気が大事
よい看護師になるには他人を思いやる心を育むことが大切だということを述べながら、そのくせ自分がそういう心を持っているかどうかには言及しない。
こういう生徒がけっこう多いことにあるとき気づいて、それが不思議で不思議で仕方がなかった。
だってそう思いませんか?
看護学部の推薦入試を受けるんですよ。自分にはこんなに看護師としての適性があるんですよって一生懸命アピールするべきでしょ。いかに自分が有能な人材かということを売り込む場なんです。面接はもちろん、小論文でもそういう自分を演出しなければならないんです。
それなのに、まったく覇気が感じられない。
売り物がないのに道端に店を広げている露天商みたいなものです。ゴザの上には何にもないけどあなたはいったい何を売ろうとしているの?
程度の差はありますが、こういう感じの生徒がたくさんいて、そのことにある種怒りすら感じたりしてきたんですが、そのうちいろいろと考え始めたんです。
だって、やる気がないっていうんじゃなさそうなんですよね。面接や小論文を軽く考えてなめてかかっているという感じでもない。むしろ真面目に精いっぱい取り組んでいるという印象すらあるわけです。
それなのに、書いてくるものは上辺だけをなぞったようなものばかり。
こうなってくると、問題は生徒やる気とか考え方とかというんじゃなくて、指導方法の問題じゃないかと。教えるべき大切なことがすっぽり抜け落ちちゃっているがゆえにこんな状況になっているんじゃないかとそう考えるようになったわけです。
それじゃあ、どんな指導をすればいいのか。
私が思うに、小論文や面接で必要とされる能力っていうのはいくつかあるんだけど、いちばん大切なのは「やる気」とか「思い」みたいなものだろうと、そう思うんです。
どうしてもこの仕事をしたいとか、この分野の勉強をしたいとか、この大学に入りたいとかそういう「思い」や「やる気」がないと、まずは始まらない。
どんなに論理的思考能力に優れていたとしても、この「思い」がなければいい文章を書けるはずがない。
まずはそうした「思い」がいちばん大事だということ。これをちゃんと理解していないといけません。
先程の例に戻りますが、よい看護師になるには他人を思いやる心が大切と述べておきながら、自分にはその心があるというアピールができない生徒っていうのは、この「思い」に自信を持てないからじゃないかと思うんです。
自信を持てないのは、自分のこれまでの生活を振り返ったとき、「他人を思いやる」行動がほとんど見当たらないからでしょう。だから、「私は他人を思いやる心を持ってます」なんておこがましくて言えない。生徒が自信を持って言わないのはそんな単純な理由からだと思います。
まあ、これはある意味で正直な態度のあらわれと言えるかもしれません。まじめな子ほどこう考えちゃうのかもしれませんね。
実際、これらの生徒に聞いてみるとこんな答えが返ってきたりします。
「他人を思いやるということを意識して過ごしてはこなかったから」
「他人よりも自分を優先してきたから」
じゃああなたの特徴は何?と聞けば、
「コツコツ努力する」とか「練習をさぼらないこと」とか言う。
その生徒はバレー部のキャプテンなんです。
これから看護学部を受験するっていうのに「練習さぼらない」って言ってどうするの! スポーツ推薦じゃないんだから! まあ、言ってもいいけど、それは看護と関係あることなの?
「関係なくはない…」
まあ、こんなやりとりが続くことになります。
魅力的な自己を演出する
つまりは、自信を持てればいいわけです。
胸を張って「他人を思いやる気持ちを大切にしてきました」って言えればいい。
そのためには「土台」が必要だと思うんです。
「土台」っていうのは戦略のことでもありますからね。ここで自分の売り込み方を考えていく。
売り込みの基本は「自分にはやる気があります」っていう姿勢です。
自分は看護師になりたい。
こんな看護師になりたい。
看護師になって将来はこんな働きをしたい。
そのためにはこんな資質が必要だ。
自分には看護師としての適性が備わっている。
私はすごいんです!
こうしたことをちゃんと言えればいい。
看護師になるために「他人を思いやる心」が必要だというならば、そういう資質を自分は持っていて、そういう自分は看護師としての適性を十分に持っているのだ、ということをしっかりと伝える必要がある。それをいかにして効果的に伝えるかという戦略が大事なんです。そうしたことを受験生にはちゃんと理解させなきゃいけない。
いやいや自分には「他人を思いやる気持ち」があるとは言えません。
そんなことを言うようなら、その生徒と一緒にこれまでの歴史を振り返ってみればいいと思います。だいたいの生徒は「他人を思いやっ」ていますよ。
バレー部のキャプテンなら、後輩の悩みを聞いてあげたり、スランプに陥ったチームメイトの練習に付き合ってあげるくらいのことはしているはずです。そのときは後輩やチームメイトを「思いやった」からそうしたわけではなく、何か別の理由でこういう行動をしたのかもしれません。強い言葉で叱ったり、罵倒に近いような言い合いをしたことだってあるかもしれません。しかしそれだって後輩やチームメイトを思いやっているからこそですからね。あとから振り返ってみたらそれは立派に相手を「思いやった」行為と言っていいはずです。
こういう感じでいけば過去はいくらでも読み替え可能です。
しかもそれは決して「ウソ」でも「捏造」でもなく、れっきとした事実です。過去を振り返ればこの他にだってたくさんの「思いやった行為」が見つかるはずです。
今作りたいのは、「看護師としての適性がある自分」というストーリーですからね。
そこに焦点を当てた「物語」を編成していけばいい。
その時には意図していなかったことでも、結果として看護としての適性を育むのに役立っていたとしたならば、それは「看護師を目指す自分物語」の材料に十分なります。意識的にそうした読み替えをしていったら、使える材料がたくさんあることに気づくはずです。そういう視点で自分を再編成していけば、これまで何気なくしてきたことや別の意図で行ってきたことも、その一つ一つが将来の自分を育むのに役立ってきたと思えるようになるでしょうし、そうすれば多少なりとも「自信」がついてくるんじゃないかと思います。
土台の作り方
ここで一旦、「土台づくり」について整理しておきます。
まずは志望理由書でしたね。
この文章の中から、おそらくは端の方にひっそりと眠っている「手がかり」を探していきます。
そこから話を広げていきましょう。
いろんな質問をして、できるだけ楽しくワイワイやった方がいいですね。そのほうがいい話を引き出すことができます。
こうしたやり取りの中から「土台」になる「材料」を見つけていきます。
「材料」になるものは、生徒が日ごろからつよく意識しているものもあれば、普段はほとんど意識しないで行っていることなどいろいろです。
そうした材料をできるだけたくさんあつめて、一つの「ストーリー」を作り上げていきます。この「ストーリー」は、もちろん理想の将来像につなげる形で編成していきます。
土台を作る際のもうひとつのポイントは「本当のこと」で構成するということでした。
何度も書いているとおり、高校生の「文章力」は決して高いとは言えません。いくら論理トレーニングをしたとしても、説得力のある小論文を書くのはそう簡単なことではない。
そうした中で、普通の高校生がもちうる説得力というのは、「本当にそう思う」という実感から発するしかない、私はそう思っています。
小論文は論理性が大事と言いますが、そんなに高度な論理性は要求されません。
原因結果の関係や適切な具体例、結論に至るまでの一貫性などが備わっていれば十分です。
それよりも、「説得力」のある文章を書かせたいなら、その生徒が「本当にそう思う」ということを書かせた方いい。その方がよっぽど生きた文章になるし、空疎な論理性には決して真似することのできない「説得力」が生まれるものです。
本当に思っているからこそ適切な具体例が挙げられるし、地に足の着いた「理由」が示されるはずです。
「本当にそう思う」から「自信」を持って言える。
ものすごくシンプルなことですが、高校生にとってはものすごく重要なことだと思います。
この段階のことをきちんと支えるべきだと感じています。
そういう作業が今まではちゃんとできていなかったんじゃないかな。
実践的な小論文練習は、こうした土台を築いたうえではじめて意味のあるものになるのではないか、そのように思っています。


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