小論文エッセイ6回目です。今回は文章を書く上での「土台」の必要性について説明します。土台づくりは簡単ではありませんが、小論文を書く上ではとても大切な作業になると考えています。
前回は、受験する大学によって指導の対応は違ってくるかな、なんていう話をしました。
こういうことは本当は言わない方がいいんでしょうかね。
いろんな人から怒られちゃいそうです。真面目にきちんと小論指導している高校の先生とかね。あとは大学の方もあまりいい気分じゃないですよね。
でも、前回書いたことは本音なんです。
何でも本音を言えばいいってもんじゃないんですけどね。
でも、言ってみたかったんです。
誰も言わないから。
それで、ちゃんと議論できたらいいなと思うんですよね。
言いたいことはまだまだありますし。
ま、今回はこれくらいにして、話を先に進めます。
小論を書くために必要なものは
問題は、いかにして「受験小論文」に対応する力をつけさせることができるか、ということでした。
それは「土台づくり」にあると考えています。
じゃあ、「土台」とは何か。
例えば、われわれ教師が小論文を書くという状況を想定してみます。
テーマは多岐にわたりますよ。環境問題、人種問題、経済問題、医療問題、福祉問題…。これらすべての問題に関して専門家並みの知識を持ち、そのすべてに対応できるような意見を示すことができるでしょうか。
たぶん無理ですね。多少の得意分野はあるかもしれませんがね。それだってほとんどは専門外ですから新聞や本などで聞きかじった知識をつなぎ合わせる程度の内容になるんじゃないんですか。
もちろんそれっぽい文章にはなりますよ。大人ですからそれくらいはできます。
でも、その文章が「自分らしい」ものかどうかと言われれば、どうなんですかね。
かなり怪しくなってきます。
でも、小論文って自己を表現するものですからね。
「自分らしさ」が表現できていないとダメなんです。少なくともある一定以上のランクの大学においては、そうしたことが求められる。
そう考えたら合格点の小論文を書くのって難しいと思いませんか。
われわれ教師だって、上手に書けるかどうか…
それなのに、ふつうの高校生ができますかね?
簡単ではなさそうです。
小論文の難しさってこういうことなんですよね。
で、また教師が小論文を書くという設定に戻るんですが、
教員にだって小論文は書けないかもしれない、とさっきは言いました。
けど、書けますよ。
もちろん。
ただし、すべてのテーマに対して専門家のような立場で語るような芸当はやっぱり無理ですけどね。
でもわれわれ教員には「土台」があります。
われわれの「土台」とは、もちろん「教育」です。
教師は教育を専門にしているプロ集団です。だから、われわれは教育という立ち位置からすべての問題を語ることが可能です。経済のスペシャリストではありませんから経済アナリストのような意見は語れませんが、教育という視点から経済問題にアプローチする道筋なら見えます。同じように政治問題や環境問題、民族紛争だって、教育という目線で問題に迫ることは可能です。
だから、私たちはどんな問題にでも対応することができます。
これは教育という「土台」があるからです。
われわれ教師が書いた小論文はそれがどんなテーマであれ、すべては教育というフィルターを通して語られた意見になるでしょう。もしかしたらテーマが違っていてもそこで語られている内容はほぼ同じようなことになるかもしれません。あの人はいつも同じこと言ってるよ、なんて思われるかもしれませんね。でも、それでいいと思います。
それが私の思考パターンで、私の「型」です。そしてそれが私のオリジナリティになっているわけです。
環境問題というテーマに関して、教師の意見と、医者の意見と八百屋の意見は違って当たり前です。それぞれがそれぞれの「土台」から問題を見つめている訳ですから。そしてそれぞれがオリジナリティのある文章に仕上がっている。その人の「顔」が見える文章とはそういうことです。どんな問題にも対応できるスーパーマンのような知識人であることなど誰も求めていません。生徒には土台がない
生徒に指導するのもつまりはこれと同じことです。
ただし、われわれ教師と違って生徒には「土台」がない。
そりゃあそうです。
高校生は忙しいんですから。
膨大な量の勉強をこなさなきゃいけないし、部活動の時間も確保したい。その上習い事やら塾やらで時間はないんです。時々はともだちとカラオケにも行きたいしね。
いつも時間に追われています。
そうした中で、本を読んだり、新聞やテレビなんかで情報を収集したりして、自分の将来像を思い描き、そのために必要なスキルを磨いたりしながら、自分の考えをしっかりと持つ。
そんなことできる高校生って、そうそういないですよね。
もちろん、学校の勉強とか部活とかもちゃんと手を抜かずにっていうんであれば、それはものすごい能力ですからね。
ふつうの子には、なかなかできないかな。
だから、土台みたいなものがすでに出来上がっている生徒なんてそんなにいるわけがない。
じゃあ、どうするかっていうと、
土台がないのなら、土台を作っちゃおうと、こういうわけです。
だって、作るしかないじゃないですか。
土台がなければ私たち大人だって文章を書くことはできないんですから。
ましてや、高校生ならなおさら土台は必要です。
なんの拠り所もない状態で、文章なんかかけるはずがない。
だから、まずは土台を作ります。
でも、そんなことができるのだろうか。
「土台」っていうのは思考の基礎になるようなものですからね。
そう簡単に作れそうには思えません。
しかし、無作為に飛んでくる問題(テーマ)に対して、その都度無難に無理なく答えていくような芸当の方が余程難しいことだと思います。
これについては教員が小論文を書くという想定のところでも話しましたし、以前の投稿「小論文の難しさ」のところでも説明しました。(小論文エッセイNo.3はこちら)
もちろん、ほとんどの生徒はそんなことはできません。
それなのに、実際の小論練習って、けっこう無茶なことやってますよね。
環境問題のポイントはこうだとか、経済問題にはこう対処しろとか、AI関連はここに注目しろとか。
生徒もそういうことは大事なんだろうと思っちゃうから、一生懸命詰め込もうとするんだけどね。
そもそも土台がないから、よく理解できないんですよ。
もちろんこういう指導も大事だし、最低限の基礎知識はないと困りますよ。
でも、実際はどうなんでしょう。
いくらそういう知識を詰め込んでも、生徒がちゃんとそれを使いこなせるのかどうか。
その生徒のキャパや対応力を見きわめた上でないと、かえって変なことになっちゃいます。
で、実際変なことになっちゃってますよね。
受験の直前にこうした指導をダーッとやって、事前練習をしたような感じに生徒も先生もなってね。それで受験に行ってらっしゃいですから。まともなこと書けているとは到底思えない。
※ そんな感じでも合格できちゃう大学と、それじゃ到底太刀打ちできない大学とがある訳ですよ。それが前回の話です。(小論文エッセイNo.5はこちら)
こういう実態を何とかしたい。
生徒自身が納得できるような小論文を書かせてあげたい。
そのためには、土台づくりから始める必要があると思うのです。


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