⑥高校生の進路意識

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「自分ストーリー」を考えるのはいつごろから?

そういうことを高校2年生くらいから始められたらいいと思うんです。

でも、実際は受験が直前に迫ってこないとエンジンがかからないんですよね。だから、せっかく気合を入れて高校2年生にそういう取り組みをしても、多くの子は「なんかやらされてる」感満載になっちゃって、けっきょくちゃんと考えないで形だけの取り組みになってしまう。そうすると先生もテンション下がりますよね。こんなに苦労して頑張ったのにって。

そういうときに、もっとこうしたら生徒は食いつきますよとか、そういうアドバイスができたらいいなとは思うんですけど、残念ながら私はそういうアイディアを持ち合わせていないもので…。
だからわたし自身、うまくいかない経験ばかりしているんですけど、でもそうした中で悟ったことがあります。

そんなもんでしょ。
そう、クラスに40人いたら、ちゃんと食いついてくれるのは1割から2割。あとは「とりあえずやりました」グループです。でも、そんなもんです。全員が前向きに取り組んでくれたらそりゃあうれしいしやりがいもあるんだろうけど、そんなことにはなりません。
でもそこで諦めるんじゃなくて、そういうもんだと思えばいい。だって、6、7人には届いているんですよ。上出来じゃないですか。あとの子たちだって受験が近づいてきてもう少しお尻に火がつけば変わるかもしれません。一応、その種は蒔いたんですから。それでよしとしましょう。

考える機会はみな平等にあるべきだ

話は戻りますが、新しい時代にうまく順応していくために必要なことは何だろうって考えたときに、やっぱりそれは「情報」だと思うんですよね。どんな分野でもそうだと思うんですけど、より多くの情報を手にしている方が圧倒的に有利ですよね。とくに今の時代は。

教育の分野も同じです。だってそうでしょう。あそこの中学校よりもこっちの方が今は伸びているらしいよとか、数学の力をつけたいならこの塾に通っておいた方がいいよとか。そんな次元からもう情報戦です。いい学校に通っていい教材を与えていい先生をあてがって。これからの時代の教育とは、なんていうお話には保護者の皆さんは目がありません。子どもにも一生懸命聞かせて人よりも頭一つ抜き出るための情報を探しています。
「これからの時代の変化は予測不能ですよ。そんな中で生き残っていくためにはこんなスキルが必要ですよ。早いうちからこういう経験をしておきましょう。海外ではこういうのがトレンドですよ。」
こうした情報のシャワーを小さい時から浴びているんです。そんな環境にいたらそりゃあ有利ですよね。

で、残念ながらそういうのって家庭の裕福度と比例してますからね。なんだかんだ言っても金持ちが有利になるようなシステムになっている。
言葉は悪いですけど貧乏人と田舎者はそれだけで結構なハンデを背負っているんです。なんて不公平なんでしょう。でも仕方がないんですけどね。

そういう状況を考えたときに、ある一部の生徒だけが恩恵を受けるようなことにはできるだけしたくないと思っています。
もちろん多くの先生はわたしと同じように思っているはずですよね。

文科省の人もそう思ってるのかな? 
思ってるよね。
どうかな?
でも、そう思ってくれていたらこんな案は出してこないよなってことばかりでね。よくもまあいろんなアイディアが次から次へと出てくるもんだってくらいにね。教育改革!とかって言ってさ。蓋開けたら、都会人と金持ちと頭のいい子以外は関係ないよって言ってるみたいな感じだからさ。その他大勢の平民やいろんな問題を抱えている子供たちのことなんかは二の次三の次になっちゃうんでしょうね。それも仕方ないのかな。文科省には世界に負けないエリートを育成するっていう大きな命題がありますからね。そういうところは明治の時代から何にも変わっちゃいない。

だからこそ、学校現場において、できるだけたくさんの生徒に、必要な情報を与えていくべきだと思います。全員がちゃんと聞いてくれないという状況があったとしてもです。そういう経験をするというだけでも大切なことですからね。そしてほんの少しでも食いついてくれる生徒がいたら、それだけでも大きな成果だと思います。

だから、「あいつまためんどくさいことをさせやがって!」的な攻撃があっても、けっして怯んではいけません。だって、それは実はそんなに強い攻撃じゃないし、そんな文句を言っている生徒たちだって心のどこかでは自分たちのことを構ってくれている先生に対してちょっとだけ感謝しているはずです。たぶん。

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この記事を書いた人

1968年生まれ
東京学芸大学大学院修了
函館市私立学校に30年勤務
小論文を中心に指導

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