E-roomへようこそ。このブログでは、学校現場における小論文指導の現実について、学校の先生を対象にゆるーく語っていきます。バックナンバーと合わせてお楽しみください。
高校生の進路指導ってどんどん難しくなってきてますよね。みなさんはどのように指導してますか? 進路先を決める際、どのような考え方で決定していくのがいいんでしょうね。今回はこの難問について思うところをだらだらとお話していきます。
将来何になる?
「将来の夢」って、昔よく質問されましたね。小学校や中学校の時かな。それで卒業文集なんかに書くんですよね。「僕の将来の夢はプロ野球の選手になることです」なんて感じでね。あれは将来がまだずいぶん先のことなんで書けるんでしょうね。小学生は自分が実際にそれになれるかどうかなんてリアルに考えたりしているわけじゃない。今の自分がどうであるかなんて関係ないもんね。だから平気ですごいことばかり言っちゃう。可能性は無限大!ですからね。もちろんそれでいいんですけど。
それが高校生になるとそうはいかなくなります。「将来」がかなり目前に迫っていますから。自分の現実をしっかり見据えなきゃいけない。なれもしないようなものを希望しているような時間的な余裕はありません。プロ野球選手だなんて言っていられなくなります。(それでも夢を追い続けるという選択もありですけどね)
そこで、自分は何になれるんだろうと考えます(やっと)。そのときには誰しもが今の自分の現実というものを直視しなきゃいけません。その上で将来の可能性の範囲をぐっとしぼっていくことになります。
自分は何に向いているんだろう。
自分には何ができるだろう。
自分はいったい何をしたいんだろう。
早くから明確な進路意識をもっていろんなことに取り組んでいる生徒も入れば、高3になってもまだふらふらしている子もいる。実際は後者の方が圧倒的に多いんじゃないかな(潜在的にはほとんどの生徒がそうかもしれない)。
特に文系選択者に多いかもしれませんね。弁護士になるとか政治家になるとかっていうように学部を出た先の具体的な職業がわかりやすい場合はまだいいんですけどね。だいたいはそうじゃないから。英文学科でシェークスピアを研究しても、就職先は銀行だったりするのが普通ですもんね。法学部を出たからって法律関係の職に就けるとは限らないし。もちろんそれが悪いっていうわけじゃないけど、高校生の視点からすればその学問を勉強して将来何になるのかっていうのがわかりにくい。もちろん理系だからって将来のイメージがわかりやすいかっていうと、今の時代はそうとも言い切れませんしね。
これからの時代の進路観って?
これからの時代は職業の概念がどんどん変わっていくだろうから、もっとわかりにくくなると思います。今までのように何らかの職業に就くことを一つの目標にするような進路イメージじゃ対応しきれなくなるんじゃないかな。新興国の勢いはすごいし、AIはどんどん進化していくし。これからどんな時代になっていくのか予測がつかないよね。
だから、この仕事に就きたいからこの学部に行くというような公式が、昔よりもずっと成り立たなくなってきてますよね。これからはどんどんそうなっていく。それが現実だと思います。
だから、いろんな状況に対応できる自分というものを育てなきゃいけない。時代の流れの中で新しい職業やら新しい使命やらがどんどん生まれてきて、そこに自分がどうコミットしていけるかっていうことが重要になってくる。
そのためには自分を磨いていく必要があるんだけど、どこをどう磨けばいいのかはだれも教えてくれない。
今までは、職業という具体的なゴールがあって、それに向かって努力するというストーリーが(多少は)あった。実際にその職業に就けなかったとしても、そういうストーリーは(ある程度)信じられていたと思うんです。
だから、どういうスキルを身につければいいかということ自体はわかりやすかった。それをちゃんと磨いていけばゴールが見えてくる(はず)。それをちゃんとやるかどうかは自分の問題。そんな感じでした。
だけど、これからの時代は今までのように職業というゴールはあてにならない。今ある職種が5年後にあるなんて保証はどこにもないんですからね。そうなってくると、どこを目指して、何を、どう努力すればいいのか。自分磨きの方向性を見極めるのがほんとうにむずかしくなっていきます。この勉強をすればこうなれるっていう具体的なイメージが持ちにくくなるわけですからね。
そうなると、もう少し抽象的なものを目指すしかなくなりますよね。具体的にどんな仕事に就くかはわからないけれども、世界経済の問題に関わっていきたいとか、福祉問題に関われる働きをしたい、とか。自分が理想とするような活動ができる職業って今はないけれどもこれから生まれてくるかもしれないし、もしかしたら自分で立ち上げることになるかもしれない。目指すのは職業じゃなくて、ある抽象化したイメージ。それに向かって自分の幅を可能な限り広げていくことが当面の目標ということになる。
そしてその延長線上に何らかの職業が待っているんだけど、それは今はまだわからない。わかっているのはぼんやりとした方向性だけ。今の自分がするべきことは、どう変化していくか予測のつかない時代の流れを前にして、それでも自分が進みたい方向だけははっきりさせつつ、今の自分の特性に合ったスキルを磨いていくこと。そんな感じになりますよね。
なぜ適性を意識することが大事なのか
それで、「適性」っていうのが大事になってくる。
ほかの誰とも違う自分っていうのを作り上げていくことが大事になりますからね。
そのためには自分には向いていないようなことを無理してがんばるよりも、自分に合った分野に力を注いだ方がいいに決まっている。そうすれば、より効率的に「個性的な自分づくり」が可能になりますからね。好きなことなら比較的苦にならないはず。
じゃあ、自分には何が向いているの? 自分は何に興味があるの? 自分の適性って何? という話になってくるんだけど、その答えを出すのって意外と難しいんですよね。自分のことなのに自分は何がしたいかっていう問いにうまく答えられない。なんかぼんやりと宙に舞っているようなイメージみたいなものはあるんだけど、うまく整理できていないままこれまでほったらかしにしてきたもので。
でも、とりあえずなにか答えを出さないといけない。そうしないと何も始まらない。だから、間違った答えを出しちゃうかもしれないけど、それであとで修正が必要になっちゃうかもしれないけど、とにかく何らかの答えを出さないといけないんです。
わたしが何度も言っている「自分ストーリー」っていうのは、そういうことも含んでいるわけです。
自分の物語を作り上げていくわけですからね。その過程において当然「適性」っていうことも必要な要素として入ってきます。
(「自分ストーリー」についてはー実践編ーで説明しています)
自分の適性やら興味の方向性やらがある程度見えてきたら、そのストーリーに沿ったかたちで自分の進路を考えればいい。進路についてはそういう順序で考えさせるのがいいと思うんです。
でも、ここまで話してきたことを高校生に理解させてそれを実践させるのってめちゃくちゃ大変ですよね。生徒も大変だけど、先生もね。
なので、できるだけ早めにそのスタートをきるのがいいと思います。走り出してしまえば、あとは自分で考えることが多くなりますからね。それで、人によっては「あれ? なんか違うかな?」なんて感じで途中で気づいたりします。そうしてまた振出しに戻って自分ストーリーを組みなおしてみる。自分の本当の気持ちと対話しながら、自分の物語を再編成していくんですね。
そう考えると一度間違った方に突っ走る経験をした方がいいかもしれませんね。その方が内省的になって、しっかりと自分に向き合えるかもしれません。
こんな感じで自分の適性みたいなものをちゃんと意識する機会を持つことが大事なのかなと思っています。


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