文がごちゃごちゃしてくると文章は読みにくくなります。そうなると必然的に客観性が失われていきます。
文がごちゃごちゃする原因はたくさんあります。
その主要なものをいくつかあげてみます。
「くっつき文」
「くっつき文」は、全体をごちゃごちゃさせる原因となります。
「くっつき文」についての詳細は〈もっとくわしく6〉へ
修飾語をたくさん並べてしまう
複数の修飾語を並べてしまうのも、ごちゃごちゃの原因です。
「太郎は ①その日から ②将来のために ③一日中 ④食事抜きで ⑤一心不乱に 勉強をした。」
①〜⑤はすべて「勉強した」にかかる連用修飾語です。
この文は単文なのですが、これだけ修飾語が多いと単文でもごちゃごちゃしてきます。
文法的には、修飾語はいくらでも並べることは可能ですし、その順序を自由に入れ替えることもできます。
しかし、修飾語を並べる表現にはいくつかの問題点があります。
この文の筆者は、順番をあまり意識せずに①〜⑤までを並べたかもしれません。
しかし、この文では⑤「一心不乱に」のニュアンスが一番つよく感じられます。それは「勉強した」に一番近いところにある言葉だからです。
逆にいうと①「その日から」の印象は薄くなります。「勉強した」から一番遠いためです。
もしもこの文の筆者が「勉強し始めた時期」についてもしっかりと伝えたかったとしたならば、この表現の仕方は適切ではないということになります。修飾語の並べ方によっては、伝わり方のニュアンスが違ってくるからです。
ただし、詩や小説などの文学表現においては、こうした効果をうまく利用することがあります。
スピッツの「大好物」という歌詞の中に次のようなフレーズがあります。
「君の大好きなものなら ①僕も ②たぶん ③明日には 好き。」
①〜③はすべて「好き」にかかる連用修飾語で、どの順序で並べても文法的には問題ありません。
しかし、全部の入れ替えパターンを試してみるとわかると思いますが、全てニュアンスが微妙に違ってきます。
特に「好き」の直前にどれを置くかで意味合いがずいぶん違ってくるのがわかるでしょう。
芸術的表現においては、このように「並び」や「配置」によって言外のものを感じさせるという技を使ったりします。
長い連文節
文の中に連文節が組み込まれると、文は長くなり、ごちゃごちゃしてきます。
その連文節が〈主語ー述語〉を含むものだと、さらに混乱してきます。
この場合、文法的には「複文」という位置付けとなり、この連文節は〈親文〉に従属する〈子文〉の役割を担います。
この〈子文〉が長すぎたり説明が詳しすぎたりすると、文は一層ごちゃごちゃすることになります。
〈子文〉がうるさすぎて、〈親文〉の内容がよく分からなくなるからです。
木下是雄氏はこのような文を「逆茂木文(さかもぎぶん)」として避けるべき表現形態の一つに位置づけました。
「①レストランで食事をしたりキャンプに行ったりするなどの家族で過ごす時間は、②効率のみを重視した現代のビジネススタイルに疲弊したサラリーマンにとって、③ストレスから解放される貴重なひと時になっている。」
この文の〈親文〉は「家族で過ごす時間は サラリーマンにとって 貴重なひと時になっている。」ですが、①②③の〈子文〉がそれぞれの主要語の前に長々と置かれているので、〈親文〉の内容が分かりにくくなっています。
こうしたごちゃごちゃを避けるためには、まず〈親文〉を切り出し、その後に①〜③の内容を配置すると良いでしょう。
「家族で過ごす時間はサラリーマンにとって貴重なひと時になっている。例えば家族みんなでレストランで食事をしたりキャンプに出かけたりする時間である。こうした時間はストレスから解放される貴重なひと時なのだ。現代のサラリーマンは効率重視のビジネススタイルに疲弊しているのである。」
「こと・もの」子文(名詞節)
「チームが負けたことは とても残念です。」
この文のように、形式名詞「こと・もの」を使った〈子文〉はよく目にします。
この〈こと・もの子文〉は、主語の役割を担ったり、修飾語の役割を担ったりして、複文を作ることがよくあります。
ただし、〈こと・もの子文〉は、それ自体が長くなりやすいので、文をごちゃごちゃさせる原因の一つになります。
「結成から100年の長い歴史を持つこのチームが負けたことは とても残念です。」
「結成100年」などの細部情報が先に説明されると読み手はまずそちらに引っ張られます。すると後置されている〈親文〉の内容を見失いそうになります。
こういう場合は、主要内容を端的に述べ、その後に補足内容を添えるのが良いでしょう。
「チームが負けたことはとても残念です。このチームは結成から100年の長い歴史を持つ素晴らしいチームなのです。」
文のねじれ
文のねじれというのは、主語と述語とがうまく対応していない状態のことを指します。
「今年の夏休みの目標は、50mを泳ぎ切りたいです。」
こうした「文のねじれ」は、文が長くなればなるほど起こりやすくなります。
ですから、「文のねじれ」は、文がごちゃごちゃする原因というよりは、ごちゃごちゃした結果起こってしまう現象と言えます。
最初から「長い文を書くぞ」と決めて、文の構成をよく考えた上で書くのならば、「文のねじれ」が起こることはほとんどありません。
しかし、大半の「長い文」というのは、「長くなってしまった文」なので、そのような計画性はありません。
最初は勢いで書き始めたのが、その勢いが徐々に薄れてきて、気づけば最初に書いた主語との整合性がなくなってしまうわけです。
こうした現象が起こりやすいのは、やはり「書き言葉」への切り替えができていないからだと思われます。
「書く言葉」に切り替えずに「ふだんの言葉」のまま書いていくと、ふだんの会話の勢いと同じように書いてしまうので、ふだん通りに非論理的な展開になりやすくなるわけです。

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