2 長い文がいけない理由

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長文を避けた方がいい理由

文法的ミスが多くなる

文が長くなると、おかしな表現が含まれやすくなります。その中でもいちばん多いのは「ねじれ文」です。「ねじれ文」というのは、主語と述語の関係がうまく噛み合っていない状態のことを指します。文の最初に主語を書きますが、その主語の収めかたをしっかりとイメージしておかないと、文が長くなったときにねじれ文になる可能性が高くなります。

Step2の例文はその典型です。「なぜ貴大学を志望したかというと」で書き始めたのに、文末が「〜環境政策学科を志望することにしました。」になってしまいました。この書き出しならば、「〜からです。」などで収めるのが自然です。

文が長くなると、どうしてもこうした不自然が生まれやすくなります。

意味が伝わりにくくなる

文の主要語は「主語」と「述語」です。他動詞を使う場合は「目的語」に相当する語も主要語に含まれます。

父は 本を 買った。

このように文がシンプルだと何の問題もありません。しかし、ここにさまざまな修飾語や修飾句や修飾節が加わると文がごちゃごちゃしてきてわかりにくくなります。
日本語の場合、修飾する言葉は名詞や用言の前に前置されるので、主要語が後ろの方に追いやられて見えなくなってしまいます。

脳溢血で倒れた父はその後劇的な回復を見せ私が執筆した初めての本を自分の足で買いに行った。

こうなると、この文で主に伝えたいことは何なのかわかりにくくなります。

大事なのは主張があるかどうか

主張があるなら長文でも大丈夫

もちろん、意味がきちんと伝わるのであれば、文が長くなっても構いません。
しかし、そうした「わかりやすい長文」を書くためには、しっかりとしたビジョンが必要です。
その文章を書く意図や目的がはっきりしているなら、言いたいことをより効果的に表現するためにあえて長文にするという高度なテクニックを使うこともあるかもしれません。

主張がはっきりしないから長文になる

書くビジョンがはっきりしていないと、文は長くなってしまいます。

例えば、何を話していいかわからない状態で壇上に立つと、スピーチはダラダラと長くなります。
同じように何を書くべきかはっきりしていない状態で書き始めてしまうと、文法的ミスの多い長文ができ上がってしまいます。

私は電車に乗って山本くんのお店に行ったが、その日はたまたま定休日であり、仕方がないので一旦家に帰ろうと駅に向かって歩いていたが、突然激しい雨が降ってきて、あわてて近くの喫茶店に駆けこむと、そこに山本くんがいて、美味しそうにコーヒーを飲んでいた。

このように、接続助詞などを使って文を数珠つなぎにしていくのは、書くのが苦手だという人に多くみられる長文パターンの一つです。

この文章のいちばんの問題は、書く意図や目的がはっきりしていないということです。

書く意図や目的が定まっていないと、文は長くなり、ミスも多くなります。
つまり、長文がよくないというのは、書き方の問題という以上に、書く姿勢の問題ということになります。

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この記事を書いた人

1968年生まれ
東京学芸大学大学院修了
函館市私立学校に30年勤務
小論文を中心に指導

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