不合格でもいい小論文
自分の文章に自信がない
受験どうだった?
うーん…
何とも言えないかな…
面接は悪くはなかったと思うけど…
小論文がね…かなり自信ないな…。
どんなテーマだったの?
それがね…。
受験を終えた生徒はだいたいこんな感じですよね。
なんか、不思議に強がって、合格確定だ!って騒ぎまわる子もいますけど。
自信を持って「上手に書けた!」ということはまずありませんね。
どんなに文章が上達した生徒でも、そうです。
だって、小論文って自分のレベルを自分で把握するのは難しいから。
普通の科目なら、ある程度わかります。
自分は英語の成績がいい方だなとか。物理はかなり悪いなとか。
だから、テストができたかできなかったかの大体の感じはつかめる。
英語はけっこうできたな、とか。
でも、小論文はそれができない。
仮に隣の人が書いた小論文を見せてもらったとしても、それと比べて自分の文章がいいのか悪いのか自分で判断することができない。
自分の文章のどこがダメでどこが良いのか。
それは、なぜダメで、なぜ良いのか。
それを良くするためにはどうすればよいのか。
こうしたことは、自分では決してわかりません。
周りの人と比べてもよくわからない。
先生という第3者に教えてもらわなければ不可能です。
だから、先生の存在はとても大事。
無駄に生徒を悩ませてはいけない
しかし、ここで困った問題が発生します。
それは何かというと
先生によって言うことが違うという問題です。
これはもう、小論あるあるですね。

生徒はもう大変です。
あっちで褒められたところを、こっちでは直せって言われるんですから。
いったいどうすればいいの?
だれを信用していいかわからない。
というか、あっちの先生の指導を無視するわけにもいかないし、かといってこっちの先生の顔も立てなきゃいけない。
生徒さんも気を遣って大変です。
受験前の生徒さんにねえ。こんなストレスをかけちゃだめですよ。
でも、こうしたことはその学校の構造的な問題なので、特効薬はないんですよね。
自分が受け持った生徒に害が及ばないようにするしかありません。
だからといって、
あの先生のところには絶対に相談に行くなよ! なんてことは生徒には言えませんしね。その辺はうまくやっていくしかありません。これは大人の事情です。
生徒に自分を信じさせる
できるのは自分を信用させることだけです。
君の文章は上手になっているよ
という先生のメッセージをきちんと受け止められるような関係性が必要ですね。
信頼関係というやつですね。
こうした関係の中で、たくさんの練習を積み重ねる。そうすると、徐々にわかってくるもんです。どうすればいいかが理屈として理解できるようになってくる。
まだまだうまくは書けなくても、何をするべきかが飲み込めるようになる。そういう仕方で徐々にレベルアップしていく。小論文というものはそういうものです。
「小論文模試」を受験すると偏差値が出ますよね。
あの偏差値も一応の目安にはなりますが…。
実感が乏しいんですよね。高い偏差値が出ても、なんか自信が持てないというか。次の模試でも同じような成績を取れる自信はまるでない。ましてや、入試で合格点を取るということになると…。大学ごとに採点基準も違いそうだし…。
小論文の場合は、偏差値よりも、わかったという「実感」の方が大事だと思います。
だから、レベルアップをしたときに、それがレベルアップであることをきちんと伝えてあげなければならない。そうしないと、自分のレベルが上がったのかどうかわからない。小論文の「実質的な偏差値」は信頼できる先生が保証してくれるしかないんです。
先生とのそういうやり取りを通してはじめて、自分の位置(偏差値のようなもの)がおぼろげながら見えてくる。そして目指すべき方向がなんとかわかってくる。
いろんな先生が別々のことを言うし、
模試の偏差値もあてにならないし、
参考書に書いてあるようにはうまく書けないし、
自分の文章レベルで勝負になるのか不安だし…。
こうした不安に対して「信頼できる基準」を示してあげること。
これが先生の役割りですよね。
ああ、こっちの方に向かって歩けばいいんだな。速くは歩けないけど、方向は間違っていなかったな。今回は道を間違えたかな。そっち行っちゃだめなんだよ。方向は間違えないようになってきたな。少し歩き方を変えてみようかな。隣の人よりうまく歩けてるかな。まあ、人のことは気にせず自分の道を歩けばいいや。

入試に負けないマインドを
自分が書いた小論文を、大学側がどう評価したかについては、わかりようがありません。
わかりようがないことを考えてもしょうがないんです。
いろんなことに振り回されず、自分の道をしっかり歩くこと。
他人の評価ではなく、自分の納得度。
入試結果がどうであれ、
自分の力を出せたのか、あるいは出せなかったのか。
その判断を、自分ではじき出せるようにすること。
こういうマインドを持つことができれば、よい結果につながりやすいでしょうし、仮に不合格でも立ち直りは早いんじやないでしょうか。
入試で「いい小論文が書けなかった」という判断ができる人は、自分の力不足を受け入れられます。
「いい小論文が書けた」という実感を持てたならば、それでも不合格という結果に対しては、小論文以外の要因を想定することができます。
入試結果だけに左右されない、強いマインドを育てていくのも大事なことですからね。
そもそも、大学入試って謎だらけですからね。
あのブラックボックスの中はどうなってるんですかね。
おそらく、内部の人にも説明できないような複雑な論理があるんじゃないかな。
じゃないと、あんな不合理なことばっかりにはならないよね。
生徒には言えないけど、こっちは不満だらけです。
学校型選抜(旧推薦入試)や総合型選抜(旧AO入試)は、合格基準がわかりにくいものです。学校によってずいぶん違うし、同じ学校でも年によって違ったり…。
でも、そんなことを嘆いていてもしょうがないですよね。
生徒はいろんなリスクを負いながら、長い時間をかけて練習してきたんです。
結果がどうであれ、生徒が納得できる取り組みをさせてあげたいものです。

コメント