「くっつき文」がいけない理由
複数の単文が横並びにつながって長くなった文を「くっつき文」と呼んでいます。
文と文は、主に「接続助詞」や「中止法」によってつながります。
「つながり」が曖昧になる
「くっつき文」の中でも、文と文が対等な関係で並んでいるものを「重文」といい、そこに接続の関係があるものを「複文」といいます。
重文や複文は、上手に使えば文をまとめるのにとても役立ちます。
しかし、これを上手に使えるのは、文章が上手な人だけです。
多くの「くっつき文」は、文と文とつながりを曖昧にしてしまいます。
それが対等で並んでいるのか、何らかの接続の関係があるのか。順接でつながっているのか、逆接なのか、それとも別の話題に移ったのか。
こうしたつながりが曖昧になると、筆者の言いたいことが伝わらなくなってしまいます。
関係のないものまでくっつけてしまう
さらにやっかいなことに、つながりのないものまでくっつけたりする荒技も多くみられます。
「‥入学後はボランティアにも取り組みたいと考えていて、貴大学の経済学科を志望することにしました。」
「ボランティア」と「経済学」にはなんのつながりもありません。
それをくっつけてしまっては、もうまともな文章とは言えなくなります。
しかし、このようにいろんなものを「くっつき文」にしてしまう現象は数多くみられます。
接続助詞の「くっつき文」
「くっつき文」は、主に「中止法」と「接続助詞」によって作られますが、日常の会話においては「接続助詞」の使用頻度が高いようです。
その中でも「が」「て」「し」「と」などを使った「くっつき文」をよく耳にします。
①たくさん勉強をして、良い点をとった。
②知っていて、知らないふりをする。
③雪が溶けて、暖かい季節となった。
④兄は優しくて、面白い。
⑤試しにバットを振ってみる。
①順接、②逆接 ③単純な接続 ④並立 ⑤補助の関係
「て」だけでこのように5つの関係を示せるわけですからとても便利な言葉です。とりあえず「て」でつないでおけば、どれかに当てはまりますからね。気軽に「くっつき文」をつくることができます。
順接? 逆接?
しかし、聞く方にしてみれば、とてもやっかいです。
たくさんあるうちのどの働きを表しているのか、すぐには判断できないからです。
例文①のように「たくさん勉強して」ときたら、その後に続くのは順接の内容だろうと、普通は思います。
でも実際は、「たくさん勉強をして、この程度の成績なのです。」という文かもしれません。
この場合の「て」は、順接ではなく逆接関係になります。
文法的には間違いではありませんし、早とちりしたほうが悪いと言われればそれまでです。
しかし、読み手のことを考えるのなら、最後まで聞かないと誤解してしまうようなこうした書き方は避けるべきです。
接続詞を使えば「つながり」が見えてくる
「たくさん勉強した。だから、良い点をとった。」
「たくさん勉強した。それなのに、この程度の成績なのです。」
こう書くだけで一気にわかりやすくなりますね。
「くっつき文」を切り離して、接続詞でつなげるのが最善の書き方です。
⑴順接 そこで・だから・したがって
⑵逆接 しかし・ところが
⑶並立 そして・また・しかも
⑷対比 または・あるいは
⑸説明 つまり・なぜなら
中止法の「くっつき文」
中止法とは、文を終わらせず、連用形で文を継続させる用法です。
これも文と文をくっつけるのによく用いられます。
用言(動詞・形容詞・形容動詞)や助動詞の連用形に読点をつけて次の文につなげていきます。
「雨が降り、風が吹く。」
「かき氷を食べ過ぎ、お腹をこわした。」
「空は青く、澄んでいた。」
「会場は和やかで、よい雰囲気でした。」
「雨が降らず、農作物が枯れた。」
また、「テ形」も中止法に含めます。
「テ形」とは用言の連用形に接続助詞「て」がついたもの。「書いて」「高くて」などがそれにあたります。
中止法の「くっつき文」の問題点は、接続助詞の場合と同じです。
中止法で文をつなげないようにしましょう。

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