E-roomへようこそ。このブログでは、学校現場における小論文指導の現実について、学校の先生を対象にゆるーく語っていきます。バックナンバーと合わせてお楽しみください。
小論文の指導をしていて、生徒は自分のアドバイスをちゃんと聞いているのだろうか? と不安に思うことってありませんか? もしかしたらそれは、生徒の手に負えないことを要求してしまっているのかも。個々のレベルに合わせた現実的な対応について考えてみたいと思います。
思ってもいないことは話せない
いよいよ実践的な話に入りますね。
まず最初に、大前提を確認します。
思ってもいないことは話せない。
ハイ、これ、とても大事です。
この線から外れてしまうと文章は書けません。
というか、書きようがない。
だって、思ってないんだから。
もちろん、自分の主張とは逆の意見を述べる、みたいなトレーニングってありますよね。
ディベートなんかでよくやるやつ。
でも、あれってめちゃくちゃ高等技術ですから! そう簡単にできるもんじゃない。
まず、何が難しいって、
① 論を組み立てるのが難しい。
だって、自分の意見とは正反対の意見を肯定するんですよ。それで、自分の意見の間違っている点を指摘したりもする。具体例やデータ揃えたりしてね。
でも、もともとの自分の意見を推すビジョンもあるはずだから、今あげた指摘に対する反論も頭の中では用意しているはずです。すごく複雑な作業ですよね。そんなこと「普通の子」には無理です。
でも、これのもっと難しいのは次の点です。
②「自分を表現する」ことができない
ディベートは論理ゲームみたいなもんなので、論理的な説得力さえあればそれでいい。
だから、自己表現の部分までは考えなくてもいいかもしれませんね。
でも、小論文は違います。
「本当に思っていること」じゃないと意味がない。だって、小論文は自己表現ですから。
自分の考えていることや、大切に思っていることや、こうすべきだとかこうあるべきだという思いなどを通して、自分という人間を表現する。
これが小論文ですよね。
つまり、自分を表現するのが目的なんです。
なのに、「思ってもいない」話で、自己表現ができるはずありません。
そもそも、思ってもいないことを、さも思っているかのように表現するのって、高校生なんかにできることじゃないですよ。それはプロの仕事です。
だから、世の中にたくさんある「高校生が書いた本当は思ってもいない文章」って見てられないですよね。そんなものちょっと読めばすぐに作り物だってわかります。だって、その子の本心じゃないんだから。知識や理屈だけで組み立てたまがい物でしょ。
そこには「人物」が表現されていない。
その子の「顔」がまるで見えない。
だから、まともな文章にならないし、書いている方にしたって「うまく書けない」ってなっちゃう。
先生がよかれと思って、「こんなことを書いてみたら?」的なアドバイスをしたりするけど、それはほとんどの場合うまくいきません。
だって、本人がそう思っていないから。
それが客観的に見てどんなに適切な内容で、的確なアドバイスだったとしてもです。
本人が理解してないようなことを材料にして文章を書くのは無理です。少なくとも普通の高校生には。
「うまく書けない」のは当たり前なんです。

一方で、生徒は「思ってもいないこと」を書こうともします。たいして思ってもいないの「地球環境を守りましょう!」とかね。それで変な文章を書いてくるんです。困ったものですよね。
でもどうして「思ってもいないこと」を書いちゃうんでしょう。
その答えは、たぶん次のうちのどれかです。
① そもそも「思っていること」がない。
②「書いた方がよさそうなそれっぽいこと」を書こうとしている。
③「小論文の書き方」ルールにとらわれすぎている。
④ 先生に言われた通り書いている。
言いたいことが何もないのに、いきなりステージに上げられて、「はい、何か話してください!」って言われたとしたらどうでしょう。
誰だって困りますよね。
言いたいことがあるから、マイクを持つんです。言いたいことがなければ、話しようがありません。
それと同じだと思います。
環境問題について言いたいことがある人は、ペンをとります。言いたいことがない人は、何も語らない。語れない。
だから、そもそも言いたいことがない高校生はここで途方に暮れてしまうのでしょう。
それでもがんばって不思議な文章を書いてくるんです。ある意味健気ですよね。褒めてあげましょう!
でも、小論文の試験では、言いたいことがなくても、何かを言わなければならない状況に追い込まれることが、多々あります。本当に困りますよね。
言いたいことがなければ、文章はしどろもどろになります。
それらしいことを書こうとすれば、嘘っぽくなります。
ルールにとらわれ過ぎると、ありきたりになります。
他人に言わされていることは、すぐにばれます。
いったいどうすればいいのでしょう。
言いたいことがないのに、いったい何を書けっていうのでしょう! これでほんとうに「自己表現」なんてできるのでしょうか。
そして、こういうとき、先生はどんなアドバイスをすればいいのでしょうか。


コメント
コメント一覧 (2件)
[…] 小論文の参考書については以前の記事で取り上げました。(以前の記事はこちら)内容を要約すると次のような感じです。1 小論文の参考書はとても有用だ。2 でも、上手に使いこなせる生徒はあまりいない。特に、「普通の高校生」にとっては難しすぎるかもしれません。本に書いてあることの意味自体は分からなくはないんですけどね。その通りにやってみようと思ってもうまくいかない。力量不足なんです。ほとんどの高校生は。ある程度の基礎力が備わってる生徒じゃないと参考書を使っての自学自習は難しいんんですよね。そういう意味では、受験参考書は使用者を限定していると言えます。だから「普通の高校生」は先生と一緒に考えていくのがいちばんいいと思う。そうなると、指導する先生の方に指導方針というか指導計画というか指導イメージというか、そんな感じのものが必要になってきますね。これについては実践編で紹介していますのでよかったらご一読ください。(実践編①はこちら)で、今回は先生に読んでもらいたい小論文の参考書を紹介します。が、今回紹介する本は、厳密には小論文の参考書というカテゴリーには入らないかもしれませんね。少なくとも、著者は受験参考書というつもりでは書いてないと思います。ここに書かれているのは、「小論文を書くとはどういうことなのか」ということです。どうすれば自分の意見というものを構築できるのか、どうすればそれを上手に文章化することができるのかということについて書かれています。ですから、これは大学受験という枠組みにはとどまりません。大学で学問をする際に必須のスキルになりますし、その先の人生のさまざまな局面においても役に立つ武器になり得るものです。高校生がその先の長い人生を生き抜いていくうえで必要とされるスキルですね。これをしっかりと自分のものにできるようにという思いを込めて書かれた書物です。ただし、「普通の高校生」が自力でこの内容を理解するのはちょっと難しいかな。だから、まず先生が読んでください。そして、小論文指導をする際の根っこのところにこの考え方を置いておくのがいいと思います。もちろん、現実的には目の前の大学入試がありますから、これにパスできるかどうかが最重要項目だとは思います。だから「その先の人生」みたいなことは理想論に聞こえちゃうかもしれません。でも、入試小論文というハードルを越えるという経験をすることが「その先の人生」に生きてくるのは事実ですし、大学側もそうしたことを期待して小論文入試を実施しているわけですからね。その辺の構図は、生徒には理解しがたいことだとしても、先生はわかってなきゃいけない。それをわかっいて指導するのと、そうじゃないのとでは大違いですからね。 […]
[…] 「わくわく」というのは文字通りわくわくしながら取り組んでほしいという意味です。生徒も先生も。実際面白いですよ。生徒の考えをいっしょに掘り下げていくと、その子の考えていることはもちろんのこと、家族や友人や趣味や過去の出来事や将来の夢など、いろんなことが見えてきます。この子はこんなこと考えてきたんだなと思って楽しくなります。生徒も自分のことを話しながら何か楽しそうです。あんなこともあった、こんなこともあったっていう感じでね。気持ちが乗ってくるとどんどん出てきます。若い人の語る「夢」みたいなものを聞いていると楽しくなりますよね。それが非現実的なものであったとしても、なんかキラキラ目を輝かせながら語ったりしますもんね。生徒以上にこっちが「わくわく」してきたりします。若いっていいなー基本的には生徒の考えを肯定的にとらえましょうね。これは結構重要なコツです。現実の厳しさを教えたり、路線の変更を提案したりするのはいつでもできます。そういうのは生徒との信頼関係ができてからじゃないとね。そのタイミングを誤ると、失敗します。最初は信頼関係づくりが大切だと思います。生徒のこれまでの歩みや今後のビジョンを肯定的にとらえながら、たのしく作戦会議をしていきましょう。関連記事→ 初級編①・つぶやき編①・つぶやき編② […]