小論文エッセイ No.4

小論文エッセイの第4回です。先生! その指導おかしくないですか? そんな感じの内容です。とくに参考書の使い方について考えてみました。みなさんはどう思いますか。

 



目次

先生は何を教えればいい?

ここまでの話で、高校生がなぜ小論文を上手に書けないのかという理由がおぼろげながらでもつかめたのではないかと思います。

①そもそも伝えたい内容をもっていないということ。

②受験小論文が極めて特殊なものであること。

 主にこの2点について説明してきました。
 そして、「受験小論文」をとりまくこうした現状についてあまり理解していない先生方が多いように思うということも指摘しました。

 先生の側の問題ってやっぱりあると思うんですよね。
 例えば、指示しすぎるケース。
 これは意外に面倒です。

 小論文の内容が薄っぺらなものだったり、適切な具体例があげられていなかったりすると、面倒見のいい先生に限っていろいろ教えてあげちゃうんですよね。
 文章構成なんかもリードして「良い小論文」に仕上げようとしてくれる。
 
 これはもちろん先生の優しさであり使命感の表れですからね。
 悪気はないんですよ。
 
 でも、ときに逆効果になったりする。

 なぜかというと、それって生徒の考えじゃないですからね。
 先生が思ってることなんです。

 アドバイスがどんなに適切でも、実際に書くのは生徒自身です。
 自分がちゃんと理解できていないことを文章化するっていうのはけっこう難しいことなんですよ。
 ふつうの高校生にはちとむずかしい。

 もしもそうした内容を書かせたいなら、それに関してある程度の時間をかけて話し合ったり、考えさせたりして、その生徒の理解度を高めていく必要がある。
 そういう過程を経てはじめてそれが「使える材料」になるわけで、ちょっと聞きかじった良さそうな話をすぐに文章化できるほど高校生の能力は高くないのです。
 
 だから、書けない。
 その先生のすごさみたいなものをひけらかしただけになっちゃう。
  
 さすが先生、すごいなーって。
 先生はちょっといい気分です。

 でも、生徒は不安ですよ。書けないことに変わりはないんだから。

参考書はどう使う?

 だから、参考書の受け売り指導なんかも迷惑なんです。
 「参考書」がいけないというんじゃないですよ。
 ほとんどの「参考書」は文字通りとても参考になりますし、すごくいいことが書かれています。

 でも、こうした「参考書」というのはそのほとんどが「ある一定レベル」の基礎力があることを(暗に)前提にして書かれているんですよね。
 
 だからなんだかよく分かっていない初心者が読んでも実質的な役にはあまりたたない。
 
 不思議なもんでね。
 書き方がよくわからないから参考書で勉強しようっていうのにね。
 よくわからない人がよんでもあまり役に立たないんです。

 そして残念ながら、現実的にはほとんどの高校生が「ある一定レベル」以下なんですよね。
 
 そこで語られている「メソッド」を使って実際に文章を書くというような芸当は、普通の高校生にはちょっと無理かなって思います。

 それなのに、真面目な生徒ほどその「メソッド」を習得しようと躍起になるんだよね。
 するとどうなるかと言うと、驚くほど中身のない、あるいは本心ではない上辺だけの文章が出来上がったりする(これは前述した「伝えることがない」ということとも連動します)。

 作りたくもないプラモデルを買ってきて設計図通りに仕上げた完成品のようなものです。
 うまくできてはいるけど、ひとつも面白くない。

 そもそも、設計図通りにつくれないんですから。ほとんどの生徒は。
 するとどうなるかって言うと、めちゃくちゃ下手くそな姫路城みたいなのが量産されちゃうわけです。
 
 書き方のことしか考えないとこんな感じの小論文になる。
 自分を表現しようとしてないから、いくら書いても上達はしない。
 
 うまく書けてもダメ。
 うまく書けなかったら、もっとダメ。

 参考書を使いこなせるだけの「レベル」に達してないとこんな感じになります。

 だからもしも「参考書」を使うのであれば、その生徒のレベルに合わせなきゃいけない。
 その生徒ができる範囲のことに限定してあげないと。
 そういうアレンジがどうしても必要になる。
 そうすれば参考書は役に立つアイテムになりうる。

 そうしたことを教える側がわかってないといけない。
 
 それなのに先生が一緒になって「参考書」的な指導をしちゃうから困るんです。
 その大学を受験するのには必要ないだろうと思われるような高度な論理的思考力を要求してみたり、ハイレベルな時事問題を扱わせようとしたり、その生徒が思いもよらないような具体例を提案してみたり、といったことです。

 とにかく、実際に小論文を書くのは生徒自身です。
 しかも、あらかじめ書いたものを提出するというのではなく、受験当日にその場で戦ってこなくてはならないわけです。
 十分に使いこなせないような武器を持たせても意味がありません。
 たとえシンプルな剣一本だったとしても、その生徒が使い慣れているものの方が「戦い」になります。
 どういう指導がその生徒にふさわしいのか、試合当日にうまく立ち回れるようにするにはどうすればいいのか。
 その生徒のレベルに合わせて練習メニューを組んでいくことが大切なんですよね。

 ここまでの内容をこんなふうにまとめてみましょう。

 実際の高校生の文章力はそのほとんどが決して高いとは言えず、よって上手に小論文を書けるような生徒はかなり少ない。しかし、そうした生徒のための指導法が十分に考えられてきたかと言えば、そうではなく、普通の高校生の手には余るような「参考書」のたぐいに頼らざるを得ないのが現状である。そして教師である我々もそうした「教え」を一つの型として盲目的に取り入れ、生徒が扱いきれないような方法論であるにもかかわらずそれをしたり顔で教え、それで生徒の文章力が上がらなくても心のどこかでその責任を生徒の能力の問題として蓋をしてしまっている。これが小論文指導の実態ではないでしょうか。

 こうした現状をしっかりと見つめましょう。
 そのうえで「生徒の実態に即した」小論文指導について、みなで知恵を出し合っていくことが大切なのではないかと考えています。

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この記事を書いた人

1968年生まれ
東京学芸大学大学院修了
函館市私立学校に30年勤務
小論文を中心に指導

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